橋杭岩

紀南地方の観光地として橋杭岩は外せない、熊野ジオパークとしての大きな価値、民謡串本節でも歌われかと思えば、弘法大師の伝説も残る場所。神話の世界に入ってみよう

駐車場  大型: 6台 / 普通車: 49台 / 身障者用: 2台とありますが、横の空き地が広いので100台近くOKです。

アクセス JRきのくに線串本駅下車 徒歩25分

連絡先  串本観光協会

目次

どうして橋杭岩ができたのか

橋杭岩の道の駅に下のような説明がありました

道の駅にあった説明

1500万年ほど前、熊野層群とよばれる砂や泥の厚い地層が海底に堆積しました。橋杭岩のまわりの黒っぽい地層は、その中の敷屋累層(しきやるいそう)の泥岩からできています。この地層が堆積した頃、大島から潮岬付近の海底は火成岩の隆起帯になっていました。
その後、1400万年前になると、大峰山脈や那智から熊野にいたる地域で起こった火成活動にともなって、地層の割れ目に沿ってマグマが上昇して冷え固まり、橋杭岩のもとになります。直立した厚い板状の岩脈は流紋岩岩という火成岩からできています。
やがて荒々しい黒潮の波にさらされながらも、橋杭岩の岩脈はまわりの泥岩より硬いため浸食されても残りました。

  • 紀伊半島で起きた巨大なカルデラ噴火の中で、地下からマグマが上昇し、泥岩層の中で固まる
  • 泥岩層そのものが隆起
  • 柔らかい泥岩層が波で削られたあと、固い流紋岩の部分だけが残る

弘法大師と橋杭岩

昔,弘法大師が天の邪鬼と串本から沖合いの島まで橋をかけることが出来るか否かの賭けを行いました。弘法大師が橋の杭をほとんど作り終えたところで,天邪鬼はこのままでは賭けに負けてしまうと思い,ニワトリの鳴きまねをして弘法大師にもう朝が来たと勘違いさせました。弘法大師は諦めて作りかけでその場を去りました。そのため橋の杭のみが残ったというはなしです。

弘法大師(空海)の伝説はこの地方でもあちこちに残っています。

見所

朝日

私が最も撮影したのが朝日が昇る橋杭岩です。冬場は橋杭岩の向こうに見える大島から朝日が昇るので、オススメ出来ませんが、2月から10月は天気が良ければ撮影できます。この時期は、毎日、カメラの放列が出来ています

引き潮の橋杭岩

潮が引いたときの橋杭岩も、絶好の撮影ポイントです。大潮の時などは、弁天島まで歩いて行けます。これを説明したイラストが道の駅の2階にあります(下)

風がないときの満潮時

ぁぜが強い串本町ではめったにお目にかかれないのですが、風がなく凪の時は岩が海面に映ってメッチャキレイです。これに当たれば幸せ

台風の時の橋杭岩

波が岩に砕ける迫力は凄いの一言。地元民としては写真撮影はオススメしませんが、とにかくスゴイ

ライトアップした橋杭岩

毎年、11月の頭に橋杭岩がライトアップされます。5時半くらいに点灯されます。ホームページでチェックした下さい

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