概要
白浜を訪れたら絶対訪れて欲しい観光地です。熊野水軍の拠点としての歴史の顔、ジオパークとしての自然の顔、恋人の聖地としての顔。そして、過去は自殺の名所としての顔もありました。多くの顔を持つ紀南の観光地。
千畳敷の南海岸にそそり立つ高さ約50mの断崖。
その昔、漁師たちが通りゆく船や魚の群れを見張った場所「見壇」に由来するといわれるこの大岩壁は、南北約2kmにわたって展開され、岩肌に打ち寄せる黒潮が激しくぶつかり合うダイナミックな光景には、自然の迫力を感じずにいられません。
2016年4月、恋人の聖地「南紀白浜/三段壁」として選定され、これを機会に三段壁展望台近辺にはハートのモニュメントを設置したり、郵便ポストをピンク色に変えたりと恋人の聖地にぴったりなイメージとなっています。ハートのモニュメントに関しては二人の愛を誓う南京錠をつけることができます。また2016年10月には、クリフダイビング世界大会が開催されました。
ご案内
電話・・・0739-43-6588 (白浜町観光課)
住所・・・和歌山県西牟婁郡白浜町2927-52
入場料・・・無料
アクセス・・・JR紀勢本線「白浜駅」から車で約20分
紀勢自動車道「南紀白浜IC」から車で約15分
最寄バス停「三段壁」下車 徒歩約5分
駐車場・・・大型バス5台 普通車30台 無料
三段壁のなりたち

紀伊半島は , プレートの沈み込みの影響を受け , 太平洋に突き出す形で隆起した地域です。陸から運ばれてきた石や砂や泥などが海底に堆積します。それらが海洋プレートの上の堆積物と一緒になって , 大陸に付つけ加わえられていきます。このようにしてできた堆積物を付加体と呼びます。海洋プレートの沈み込みによって付加体の海側が盛り上がってくぼみができ、そこに陸から運ばれてきた土砂が堆積したものを前孤海盆堆積体と呼びます。
前弧海盆に堆積した田辺層群上部層の厚い砂岩層が隆起し、それがつくる高さ50mほどの海食崖が三段壁です。その下部には海食洞が形成されている。枯木灘弧状岩脈の北部延長に位置し、周辺に鉱山跡がいくつか存在しています。洞窟内の砂岩層から鉱床成分がしみ出し、茶褐色に変色している部分があります。
熊野水軍の基地として

熊野水軍は源氏と平家の時代、紀伊半島南東部、熊野灘、枯木灘に面した地域を拠点とした水軍。熊野海賊とも言われています。瀬戸内海の制海権を握り、平安時代末期の内乱、治承・寿永の乱(源平合戦)で活躍した事で知られています。史実で有名な「源平合戦」。その歴史ロマンの一片を三段壁で感じることができます。源氏と平家が激しい戦いを繰り広げていたころ、熊野水軍は、熊野別当湛増(武蔵坊弁慶の父)に率いられて源平合戦に参戦し、源氏の大勝利に多大な貢献をしたと言われています。
恋人の聖地

2016年4月、恋人の聖地「南紀白浜/三段壁」として選定され、これを機会に三段壁展望台近辺にはハートのモニュメントを設置したり、郵便ポストをピンク色に変えたりと恋人の聖地にぴったりなイメージとなっています。ハートのモニュメントに関しては二人の愛を誓う南京錠をつけることができます。
口紅の碑

三段壁入り口から、海岸にそって右に移動し、広い場所に出る直前、振り返ると「口紅の碑」という案内板がある。そこには石に
白濱の海は
今日も荒れている
一九五〇 六 一〇
定一
貞子
と彫られている。石碑には程遠いが、そこには三段壁に身を投げて自殺した男女のラブストーリがある。定一は先妻の子で、貞子は現在の妻の連れ子。禁じられた恋を嘆き、自殺した男女。岩には許されぬ愛を育んだ二人の愛を誓う言葉として、口紅で書きつけられたものです。口紅で書きつけられた文字は二人の思いが成就するようにと、友人が人に頼んで翌年の同じ日に、口紅に沿って岩に文字を削ったといわれています。また、富田中学校教諭中瀬喜陽氏がこの句を歌って「毎日歌壇」に投じた歌が、選者川田順氏によって特選になったということもあったようです。
サンドロック

岩の大きさは長さ4・2メートル、高さ1・2メートル、幅1メートルで、2018年9月の台風後に見つかった。より多くの人に三段壁を知ってもらうきっかけにしようと、施設は今年2月以降に「波の力で打ち上げられたのか、別の場所から転がったのか、あるいは空から降ってきたのかもしれない〝謎の岩〟に名前を」とユニークにPRしていた。











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