熊野古道の五体王子滝尻王子の紹介

滝尻王子は、「藤代王子」「切目王子」「稲葉根王子」「発心門王子」と並び最も大切な五体王子と呼ばれています。ここから﨑の古道は、熊野三山へ向かう聖域とされ、ここから先の古道は世界遺産に指定されています。

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滝尻王子盛衰

この王子が初めて登場するのは、平安時代の藤原宗忠の日記「中右記」のようです。(1109年)宗忠一行は、北郡(ほくそぎ)の山中から、石船(いしぶり)川の左岸に出て、石船川と岩田川(現在の富田川)の合流地点で禊ぎをして、石船川の右岸でお祓いをして王子に向かったと記されています。
鎌倉時代に参拝した後鳥羽上皇が、熊野御幸の際に各地で、歌会を催し、その歌を清書した熊野懐紙でも有名です。このように、中世に熊野御幸が盛んであった頃には、皇族貴族により奉幣や読経の他、法楽のための里神楽や歌会が盛大に催されました。平安時代後期には藤原秀衡の寄進により四町歩(1万2千平方メートル)の境内に七堂伽藍が建立されていたといわれています。

このように、京の都の公家が熊野を目指していた時代は、しきたりを重んじ、王子を巡りながら熊野三山を目指していたようですが、熊野信仰が民衆にも広がる中で、変化が起きます。すなわち、稲葉根王子から滝尻王子までの道のりは、何度も川を渡り、山を越えるという難所であったため、通行が容易な潮見峠越えのルートに変化してきたのです。そうなると、滝尻王子や、稲葉根王子はそのルートから外れ衰退していきました。ただ、幸運だったのは、一瀬王子や鮎川王子のように藪の中に埋もれるのではなく、地域の神社として、地域の氏神となり、守られました。

滝尻王子

京の都から淀川を船で下り、その後は海岸線をひたすら南下し、現在の和歌山県田辺市に着きます。さらに三栖の山を越えて、八上王子を経て出会うのが岩田川(現在の富田川)、そこにたたずむのが稲葉根王子です。当寺は富田川は聖なる熊野三山から流れ出した川と思われており、この水で禊ぎをすると全ての罪が流されると信じられていました。この稲葉根王子では水垢離がおこなわれ、岩田川に沿って滝尻王子まで上ります。当寺は、岩田川を何度も渡り、山を越え、時には死者も出た難所とされる道でした。そしてたどり着いたのが、滝尻王子です。ここから熊野の聖地が始まります。滝尻王子では、歌会や里神楽もおこなわれたようです。現在は、そばに茶店や熊野古道館も併設され、車でも簡単にゆくことが出来ます。観光バスも多いようです。立派な公衆トイレもあります。。

熊野古道館・中辺路

熊野古道館は、滝尻王子の向かい側にあります。この施設は、中は地観光の拠点となっており、中辺路の観光案内や休憩施設があります。中辺路の観光ビデオの紹介コーナー、グッズの販売もおこなわれています。出来たのは平成6年で、熊野懐紙や滝尻王子社の所蔵品なども展示されています。熊野古道情報の収集に活用して下さい。

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