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稲葉根王子

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稲葉根王子とは

「紀伊山地の霊場と参詣道」として2004年7月にユネスコの世界遺産に登録された上富田町岩田地区にある稲葉根王子は熊野古道の中でも格式が高いとされる五体王子の一つとなります。京を出て淀川を下り、紀伊半島の海岸線を南下、そして、南部付近から山中に入り、ミスの山を越えて、神聖な熊野の山々から流れ出る富田川(古くは石田川、以降岩田川、富田川へと変化)に巡り合い、ここから険しい山道に入る場所になるのが稲葉根王子なのです。当時の富田川は暴れ川として知られ、川を渡ることは危険なことで、死を覚悟する白装束で渡ったといわれています。この王子で和歌を詠み、水垢離をして身を清め、旅の安全を図ったのでしょうか?当時は、富田川の水はすべての罪を洗い流してくれると信じられていたようです。
現在では上富田を「くちくまの上富田」と呼んでいます。

稲葉根の由来

この王子の神は熊野本地曼陀羅に稲を背負う翁の姿で描かれ、別名稲荷王子と呼ばれ、稲荷信仰に深い関係を持つようです。名称も時として変わり、稲持王子、伊奈波禰王子などとも呼ばれた時期もあるようだ。豊作を祈る「稲」の文字が、稲葉根の由来かもしれませんね。

二つの歌碑

出羽里石は、この地方に俳句の種を蒔いたといっても過言ではないのは出羽里石で岩田出身です。里石は本名寛一で、16歳頃に俳句を始めたそうです。出羽里石は田辺で造酢業を営んでいましたが、昭和14年(1939)40歳の頃に岩田に戻り父祖の業を継いで百姓を始めました。里石の俳句は、はじめ高浜虚子(1874~1959)に師事し「ホトトギス」に投稿しながら学びました。高浜虚子は「客観写生」、「花鳥諷詠」を大事にしていました。その後、高野素十の俳誌「芹」の紀南支部を担当して素十との関係を深めていきます。その高野素十は昭和31年(1956)、里石57歳の頃初めて岩田にやってきました。

月ひとつ 神楽のすみし 田の上に

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