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奈良興福寺

令和6年1月5日・6日奈良駅周辺に行ってきました。大学時代は近鉄沿線に住んでいたので、JR奈良駅周辺は余り行ったことはなく、おそらく40年ぶりかな?変わりように驚きました。どうしても行きたかったのは「まらまち」と「興福寺」この目的は果たせたと思っています。

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興福寺

興福寺は、京都山科の藤原鎌足私邸に建立された山階寺が前身となります。飛鳥を経て、和銅3(710)年平城遷都に伴い藤原不比等によって現在地に移転されました。その際に興福寺と名付けられ、以降、藤原氏の氏寺として大いに繁栄、奈良時代初期には四大寺の一つにあげられ、四町四方に170坊あまりの堂舎が立ち並ぶ寺院として隆盛を極めました。
治承4(1180)年の平重衡の南都焼討ちによって焼失した堂塔は、鎌倉時代に復興を遂げますが、その後、享保2年(1717)の火災によって、伽藍の西半分を失いました。境内には光明皇后創建とされる五重塔(室町時代再建・国宝)、北円堂(鎌倉時代再建・国宝)の国宝建築物をはじめ、南円堂(江戸時代再建・重要文化財)、国宝館などが立っている法相宗の大本山。また多くの仏教彫刻の名品を所蔵しています。(世界遺産)

興福寺と言えば猿沢の池から望む五重塔の景色ですね。この日は風はなく水面に映る姿は撮影できたのですが、あいにくの曇天でした。少し残念でした。写真も冬らしく色を抑えてみました。少し寂しい風域の興福寺です

こちらは興福寺南円堂です。西国巡礼者だけでなく、日々人々のお参りで賑わう。弘仁4年(813)藤原冬嗣(ふゆつぐ)が父 内麻呂(うちまろ)追善の為に建てた。基壇築造の際には地神を鎮めるために、和同開珎や隆平永宝を撒きながら版築したことが発掘調査で明らかにされた。また鎮壇には弘法大師が係わったことが諸書に記される。不空羂索観音菩薩像を本尊とし法相六祖像、四天王像が安置されている。興福寺は藤原氏の氏寺であったが、藤原氏の中でも摂関家北家の力が強くなり、北家繁栄の礎となった南円堂は興福寺の中でも特殊な位置を占めた。その不空羂索観音菩薩像が身にまとう鹿皮は、藤原氏の氏神春日社との関係で特に藤原氏の信仰を集めた。

中金堂

中金堂は興福寺の伽藍の中心となる建物です。注目は、本尊を四方から囲むようにしてお護りする4躰の仏像、国宝・四天王立像。鎌倉時代の天才仏師・運慶が率いた工房の作と考えられ、峻厳な表情と躍動感あふれる姿が生き生きと迫ります。中金堂再建にあたり、興福寺に伝わる数組の四天王立像の中から、天井が高く広々とした新空間に最も調和する像として、南円堂の四天王像をお招きしたそうです。写真が撮れないのが残念ですが・・・。

国宝館

僧侶が食事をする食堂に耐火式の鉄筋コンクリートの建物が建てられました。あの阿修羅像や、筋骨ムキムキの金剛力士像など多くの国宝が並ぶ。その姿は壮観。見とれてしみました。

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