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薬師寺(白鳳伽藍)

薬師寺について 概要

場所 奈良市西ノ京
宗派 法相宗 大本山
本尊 薬師如来 薬師三尊像
南都七大寺のひとつ
開祖 天武天皇
9件の国宝と26件の重要文化財

目次

歴史

始まり

680年(天武9年)・・・天武天皇が皇后の皇后鵜野讃良皇女(うののさららのひめみこ)(後の持統天皇)の病気平癒を祈願して建設が始まったお寺です。しかし、天武天皇は薬師寺の完成を待たずに崩御されましたが、病が回復し、即した持統天皇が引き継ぎ藤原京に薬師寺が造営されました。ここで大切なのが、薬師寺が建てられたのは現在の西ノ京ではなく、当寺の奈良の都、藤原京であると言うことです

697年・・・本尊の薬師如来の開眼が行われ、翌年には構作が終わり僧侶を住まわせたことが『続日本紀』に記されています。当寺は、その大伽藍はわが国随一の壮麗さを誇り、金堂や塔のたたずまいは「龍宮造り」と呼ばれるほどの美しさでした。白鳳時代の代表的な建造物と言われています。

移築

718(養老2年)年・・・710年に元明天皇の命により藤原京から平城京へと遷都が行われます。遷都にともなって薬師寺も718年に平城京右京六條二坊の現在の地へと遷りました。過去には、薬師寺が新しく建て直されたという説もありましたが、現在では、移設された言うのが定説になっているそうです。その後、戦乱により、東塔以外は消失してしますが、現在は復興されつつあり、1998年ユネスコ世界遺産に登録されました。

復興について

昭和の初め頃の薬師寺は、荒れ果て 、東塔は残っていたものの、仮金堂はあったものの雨漏れがひどく、国宝の薬師三尊は雨に濡れ泣いているかのような状況でした。NHKの「プロジェクトX」でも放送されましたが、寺の債権に尽力したのが、新たに館長に就任した僧侶 高田好胤(たかだこういん)です。彼ははユーモアを交えた親しみやすい法話で知られる薬師寺の名物館長。 修学旅行生に行った名ガイドぶりは今も多くの人々の心に残っている。 失われていた薬師寺金堂の復興を発願し、百万巻の写経勧進という前代未聞の方法で再建を果たした。伽藍の復興には多額のお金も必要ですが、高田館長が実施したのは、前代未聞の方法でした、何と一人千円で、写経勧進をお願いすることでした、目標は百万人、一人千円で100万人ですから、掛け算すると10億円を集めるという途方もない計画でした。そのために、僧侶高田はテレビをはじめとするマスコミにも登場し協力をお願いしました。タレント坊主とささやかれてもなんのその、強い意志で資金を集めました。高田好胤の講話がNHKアーカイブにありますのでぜひご覧ください。下のリンクら見ることができます

https://www2.nhk.or.jp/archives/articles/?id=D0009250133_00000

見所

金堂

金堂は、1528年に戦火に巻き込まれ焼失しました。その後豊臣家が本格的な再建に取りかかるはずでしたが、その後、豊臣家の滅亡によって400年近く仮堂のままの状態でした。金堂を復興したのは、僧侶髙田好胤と宮大工西岡常一です。西岡は古い文献を頼りに作られた設計図をもとに、金堂を再建するために、全国から30人の大工を集め、自らが棟梁となり、難工事を完成させました。目指したのは、鳳凰が飛び立とうとする屋根の曲線美でした。寺に残された古文書と発掘調査の結果から、1300年前に建てられた当寺の建物の復元は大変な難工事の連続だったようです。金堂には、本尊の「薬師如来像」と、日光菩薩像、月光菩薩像が祀られています。日本の仏像彫刻の最高傑作のひとつです

2階建ての構造

一見すると4階建てに見えますが、実は2階建てで、2回には、全校から集められた写経が保存されています。4階建てに見えるのは裳階という構造があるためで、雨よけという意味もあるようですが、女性のスカートのように、優雅に見せています、再興されたのは昭和51年ですが、飛鳥時代の白鳳文化の様式を子文書などから忠実に再現した傑作です。

薬師三尊像

薬師三尊像は、帰路気によると697年に開眼法要が営まれましたが、当時は金色に輝いていたようですが、金堂は金堂は享禄の兵火により焼失するも、仏像は、金箔は溶けたものの、今は、黒光りした姿で、優しい顔を見せています

金堂に収められているのが国宝の薬師三尊像です。薬師の言葉からわかるように、病気を直す観音様です。建てられたのが皇后様の病気の治癒を願って作られたことから想像できると思います。中央の仏像が薬師如来、右側が日光菩薩像、左が月光菩薩像と言います。月光菩薩は”にっこうぼさつ”ではなく”がっこうぼさつ”と読むそうです。薬師如来はその名の通り、病気を治し、健康を守る仏様ですが、日光菩薩・月光菩薩は、日勤と夜勤の看護婦さんと考えると判りやすいと思います。

東塔と西塔

金堂と並んで、その両側に立つ二つの塔は、美しく優美な姿を見せています。1300年の薬師寺の歴史の中で何度も火災に見舞われていますが、西塔は、その火災を逃れ、当時の姿を今に残しています。東塔が再建されたことはその姿を見ればよく分かります。東塔は、朱色と緑が鮮やかなのに対し西塔は、落ち着いた色合いを示しています。ただ、「青丹よし」の歌にもあるように、奈良平城京では、緑と朱が美しさの代表だったようで、西塔も創建当時は、東塔と同じような色だったかもしれません。

東塔

東塔は「凍れる音楽」と呼ばれています。一見、6階建てに見えますが、1層、3層、5層の屋根は藻腰(もこし)と呼ばれており、雨除けの働きもあるようですが、美しさを際立たせています。竜宮づくりと呼ばれているようです。
平成21年には全面の解体修理が行われましたが、その構造は1300年前の匠の技を示していました。特に心柱は法隆寺の五重塔と同じように、中心にあるだけで、建物には一切固定されていませんでした。現在もスカイツリーに使わている耐震の考えが、飛鳥時代にすでにあったことは驚きでしかありません。

西塔

西塔は昭和56年に再建されました。再建当時の朱と緑で彩色されており目に生える美しい党となっています。また、1回には、文化勲章受章者の中村晋也氏による釈迦八相像のうち果相の四相が祀られています。よく見ると、西塔のほうが少し高いことがわかりますが、再建にかかった宮大工さんの話によると、建物には自重がかかるので500年後には同じ高さになるそうです。凄いとしか言いようがありません。

大講堂

大講堂は、講師の法話を聞いたり、僧侶が学習をするところです。薬師寺ではもっとも大きな建物となっています。ここに安置されているのが阿弥陀如来です。法相宗によると、阿弥陀如来とは、お釈迦様がなくなられてから、5億7千6百万年後の姿だということで、その教えを学ぶのがこの大講堂です。
この大講堂には、お釈迦様の足跡を残した、国宝の仏足石と、それにまつわる仏足石歌碑があります。和歌は通常五・七・五・七・七ですが、この歌は五・七・五・七・七・七となっており、大変貴重なものです。

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