
法隆寺は、1300年以上の歴史を持ち、現存する世界最古の木造建築として、日本国内はもとより世界中に知られています。また、国宝だけでも38件、150点、重要文化財を含めると3000点以上にもなります。まさに文化の宝庫です。1993年に「法隆寺地域の仏教建造物」名義で、「姫路城」とともに日本初の世界文化遺産に登録されています
概要
創建:607年に聖徳太子と推古天皇が建立。「日本書紀」には、天智9年(670)に伽藍を焼失したとの記述があり、8世紀初頭に現伽藍が完成
場所:〒636-0115 生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1
宗派:聖徳宗総本山
ホームページ:http://www.horyuji.or.jp
拝観時間:8:00~17:00 ※11月4日~2月21日は16:30まで
拝観料:大人・大学生 ・高校生…2,000円・中学生…1,700円・小学生…1,000円
法隆寺はどんなところ
奈良県の生駒郡斑鳩町にある「法隆寺」は、1,300年以上の歴史を持つ由緒正しいお寺です。昔は薬師寺や興福寺と同じ「法相宗」であったが、聖徳宗(しゅうとくしゅう/仏教宗派のひとつ)の総本山で、聖徳太子ゆかりのお寺としても知られている。また、「世界最古の木造建築」として知られ、国宝や重要文化財の宝庫としても有名である。世界からも価値が認められ、1993年に「法隆寺地域の仏教建造物」名義で、「姫路城」とともに日本初の世界文化遺産に登録された。
法隆寺式伽藍配置としてその様式は独特の物がある。「西院」「東院」という2つの伽藍があり、東院には金堂や五重塔がある。東院には有名な夢殿がある。これらの建造物は飛鳥時代(592年~710年)の建築様式や仏教文化を伝える財産として、脈々と受け継がれてきた。また「法隆寺」には、日本と中国が交流していた証(あかし)も残されているため、歴史的価値が極めて高い遺産と言える。.
法隆寺の成立
推古15年(607)、聖徳太子は亡き父の用明天皇を偲んで、推古天皇と協力して創建されたと伝わるのが法隆寺です。しかし、その後、蘇我入鹿の軍勢により、大兄王をはじめ太子の一族は滅亡しました。法隆寺はその後も太子を慕う人々によって護持されたと言われています。しかし、『日本書紀』によると天智天皇9年(670)、一屋余す事無く焼失したと記されています。しかし間もなく再建が進められ、遅くとも奈良時代の初頭までには飛鳥時代の様式で中心伽藍が復興され、世界最古の木造建築群として知られるのが現在の西院伽藍です。
見所
「金堂」は、入母屋造りとなっており、世界に現存する木造建築の中で最古にあたる歴史的な建造物。
下の写真でも分かるように、外見は2階建てのように見えるが、中は吹き抜けとなっており、二層構造の1階建てとなっている。また、一層庫部分は軒が深くなっており、裳階(もこし)が取り付けられており、美しい木組みと合わせていっそう優雅さを見せている。一層と二層の間や裳階には装飾を施した柱が見える。
内部には、釈迦三尊像(国宝)・薬師如来像(国宝)・阿弥陀三尊像(重要文化財)・吉祥天造(国宝)・四天王像(国宝)など、多くの国宝があり、拝観することができる。
1949年(昭和24年)1月26日、模写作業中の失火により世界最古の木造建築である法隆寺金堂が炎上、貴重な壁画が焼損。この大きな損失を受けて、国宝保護の限界が露呈したため、文化財の保存と活用を目的とした「文化財保護法」が1950年5月に成立、同年8月29日に施行されました。





法隆寺の七不思議
法隆寺には7不思議と呼ばれる謎が存在しています。根拠のないものもありますが、それもまた古代へのロマンをかき立ており、聖徳太子への畏敬の念を育てているように感じます
法隆寺には蜘蛛(クモ)が巣をかけない
「蜘蛛が巣を張らない」、神秘的な雰囲気が漂う法隆寺がなせる業なのでしょうか。蜘蛛がよく屋内で巣を張るのは天井の四隅ですね。法隆寺を訪れた際には、こんな場所にも注目してみてくださいね。特別に法隆寺から発せられる不思議なパワーか、建物に使われる木材などからでる樹脂的なものが影響しているのでしょうか。でも、実際のところはどうなのでしょう。結論を言うと、これまでに蜘蛛の巣が確認されたことがあるようです。これは言い伝えということなのでしょう。同じように鳥が糞をしないというのも聞きました。いずれも聖徳太子の凄さを伝える伝説のように思います。
南大門前の鯛石は水難を防ぐ
南大門の前には鯛石と呼ばれる石が置かれています。ほとんどの方の場合、法隆寺を参拝する方のメインゲートである南大門。そして、鯛石はその南大門前の石段の手前にあります。良く見るとまるで魚のように見えることから、「鯛石」という名が付いたそうです。昔、大和川が氾濫した時に奈良盆地にも洪水が発生しました。その洪水も鯛石を越えて法隆寺の境内に浸水することは無かったとされています。そのため、この鯛石を踏めば水難から免れると言われてきたのです。

五重塔の上にある鎌はなぜあるの?
何故、鎌のようなものが置かれているのでしょうか? 考えられるのが避雷針の変わりです。焼失経験を持つ法隆寺、落雷による焼失対策があっても不思議じゃないですよね。そしてもう一つ、信仰的な理由という説もあるんです。聖徳太子崩御の後に、太子の王子となる山背大兄王一族は蘇我入鹿の焼き討ちに合い、法隆寺で自決しています。一族皆殺しにあった太子とその一族の祟りを、人々が恐れるのは当然のことですね。ですので、その怨念を封じ込めるために西院伽藍が創建されたと考えられています。さて、太子の祟りを抑えるための鎌なのでしょうか。

不思議な伏蔵の存在
西院伽藍の境内には3カ所に石蓋があって、その蓋の下には隠れた蔵があるとか。そこには様々な財物が保管されているとか。これは、聖徳太子が中に財物を保管しておくよう指示したのではないかと考えられています。仏法が滅びた際には、すぐに必要となる財物なので、法隆寺の秘仏とも言えますね。だれも見たことはないそうです。まさに、歴史のロマンを感じます。

法隆寺にいる蛙は片目
法隆寺に住み着く蛙には、なぜか片目が失われています。法隆寺の西院と東院を結ぶ参道沿いにある土塀の向こう側には、小さな池があります。その池に住む蛙には、なぜか片目が無いそうなんですよ。伝説によると、ある日勉強中だった聖徳太子が池から聞こえてくる蛙の鳴き声がうるさくて、蛙の鳴き声の方に向かって筆を投げたそうです。するとその筆が蛙の目に当ってしまいました。それからというもの、聖徳太子に許してもらうため、蛙は片目になったそうです。すが現在池に住む蛙には、しっかりと両目がありますのでご安心を。この不思議も言い伝えの1つですね。

汗をかく夢殿の礼盤
礼盤とは、お坊さんがお経を唱えるために座る台座のことをいいます。なので、汗をかく礼盤というのは、礼盤の下が濡れるということなのでしょう。これは、結露による水滴がでているということでしょうね。とはいっても、実際にお坊さんが座られる礼盤の下が結露とはいえ、水滴が付くのは不思議な気がします。実は夢殿が祀っているのが救世観世音菩薩、聖徳太子の御等身の像とされている像です。救世観世音菩薩は布でぐるぐる巻きにして厨子に閉じ込めてある秘仏。もし開帳したら、大地震が起こって法隆寺は壊滅する、と明治時代まで伝わっていました。ですのでお経を唱えるお坊さんの方も命がけだったのかもしれませんね。汗をかくというのは、お坊さんの冷や汗だったのかも。
法隆寺の石は雨だれで穴が開かない
最後の七不思議は、法隆寺にある石は雨くらいでは削られることはないというものです。世界最古の木造建築である法隆寺、その歴史は1000年以上にも及んでいます。そんなに長い間、ずっと風雨にさらされてきた石ですから、雨だれによって石が削られないのは何とも不思議な話です。実は、これも実際に確認済みで、穴の開いた石が見つかっています。言い伝えの1つということでした。










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